さんさろ

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プロダクトエンジニアの雑記&技術、たまにドイツ

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ホストファミリーとお別れ 2018/07/17

今日は朝起きるてダイニングに行くと既に朝食の準備がバッチリ出来ていて、今日も今日とてドイツ式の朝食をもりもり食べました。

ホストマザーは早起きで、7時前には起きて犬の散歩したり家の事をしていたりしたとのこと。起きるの早いw

朝食後は再び犬の散歩をしつつ、家の近くを散歩しました。

家の近くにはクリスマスツリー用のモミの木を植えている場所があって、いろんな大きさのモミの木が植わっています。クリスマスシーズンになると刈り取られて行くのだとか。ホストファミリーはここでクリスマスツリーを直接買うらしい。

 

日本は家も小さいし、本物のクリスマスツリーなんて置かないんだよねぇとか言いつつ、この小さいのなら飾れるんじゃない、なんて他愛の無い話をしつつ、よく散歩した道を歩きます。

そういえば、ホストマザー以外は野菜をほとんど食べないらしく、困ったわといつも言っています。が、今回「好き嫌いあるのは良いと思うのよ」と言っていて、なんでだろ?と思っていたら、「だって、もし全ての人がトマトが好きだったら、一体どれだけのトマトを生産しなくちゃいけないの?ちょっと現実的じゃないわよね」とのこと。なるほど、その発想はなかった…。

 

12時の電車に乗る予定でしたので、少し休憩したら荷物をまとめて駅へ向かいます。途中でさくらんぼを買いたくてスーパーマーケットに寄ったのですが、ホストマザーは「他の果物はいらない?」「お菓子は?」「熊グミは?」「パンはいらないの?」「ガムは?」「飲み物持った?」ともう十分色々持ってるよwと言っても、どうしても何か買ってくれようとして、大丈夫だよ〜と言うのが大変でしたw

ケーキなどを食べる時もそうですが、私から(おそらく多くの日本人から見たら)1片が十分大きくても、「そんなに小さいの1個で良いの?好きなだけ食べていいのよ?」と勧めてくれます。

1個でお腹いっぱいですよ〜と言うのですが、遠慮しないで!と言ってくれます。

してないよ!本当に1個で十分なんだよ…!

多分子どもたちみんな男の子で、旦那さんも大柄でたくさん食べるので、周りが3つ4つぱくぱく食べてるのに、私が1つをちみちみ食べてるのが「少なすぎる」→「何か遠慮してるのでは?」と思ったりするのでしょうか笑

なんとかさくらんぼだけをゲットして、駅に到着です。

ドイツは改札がないので、駅のホームでホストマザーとおしゃべりをして時間を潰しつつ、「また絶対来るよ!」と言って、ホストマザーともお別れしました。

 

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今回は乗り継ぎも1回で、時間も15分あって、電車の遅れはありましたが、乗り継ぎの電車が着くホームも同じだったので、楽々と乗り継ぎ出来ました。

駅からホテルは徒歩で20分程ですが、でかいスーツケースで石畳の上を歩くのはかなり骨なので、タクシーで向かいました。意外に道のり長く感じて、タクシーで正解だった……。

ホテルは日本で言う所のビジネスホテルっぽいところで、清潔で広くて好感が持てました。ただし、ドイツはクーラーが無いホテルも多く(普通のホテルは多分無い)、この暑いのにクーラー無いとか…という感じで窓を開けるのですが、表は大通りで煩いのなんの。窓閉めるとそこそこ静かなんですけどね。クーラーください。

 

ちなみに、泊まったホテルの中でクーラーがあったのは、フランクフルトの東横インだけでした笑 ミュンヘンには扇風機置いてありましたけれど。あとのホテルにはクーラーどころか扇風機も無い。

基本的にドイツの夏は涼しいので必要ないのだと思いますが、今年は当てはまらないようデス…!

荷物整えた跡は、一旦スーパーまで水を買いに行き、その後街にご飯を食べに行きました。

 

夕飯は古き良きドイツレストランで

ドイツ料理のお店で七面鳥白ビールに舌鼓。

 

白ビールは見たことない銘柄だったなぁ。Benediktiner(ベネディクティーナー)と言うらしい。

お店の雰囲気もよくて、ついつい長居してしまいました。観光客も多いのでしょう、外国人と見るや、英語で話しかけてくれるのですが、その度にドイツ語で返して「(……なんかすみません(´・ω・`))」という感じです。

帰りにミルクシェイクを買って飲みつつ、ホテルに帰ります。

……段々1日の行動量が減ってきてますね。

ちゃんと睡眠をとって体調を整えるように注意しているのに、やっぱりこう連日観光でそろそろ疲れてきているようです。旅ってほんと体力大事だなぁ…。

 

余談

ドイツの街では、道にたまにこのようなプレートが埋め込まれているのを見かけます。

二次大戦中に、プレートのある場所に住んでいて、そしてゲットーや収容所に送られた人々の名前が刻まれています。

これはバンベルクで見つけたプレートですが、3名の方がここに住んでいて、1941 年にリガに移送され、殺害された、と書いてあります。

パダボーンにも、空襲の際に街に投下された爆弾の欠片が教会にそのまま遺されていたりして、ドイツもやはり、二次大戦の舞台であったのだなぁと感じる瞬間が間々あります。

こんなに綺麗な景色や町並みで、穏やかな人々が多い豊かな国でも、そういう凄惨な過去があったんだ、と時折思い返してみたり。

このブログで、戦争についての償いやその伝え方の、各国の違いを論じるつもりは毛頭ありません。ただドイツはかつて日本の同盟国であり、そして同じ敗戦国であったのだなぁ、となんだかぼんやりと思ったりして、静かにドイツの夜空を眺めたりするのでした。